愛媛県松山市で起きたホステス殺害事件。
犯人は当時34歳の福田和子で、元同僚のホステスを殺害しました。
福田は事件後、美容整形を繰り返し、約15年の逃亡生活を送りました。
偽名や整形で得た顔で普通に生活していた福田は「7つの顔を持つ女」とも言われます。
なぜ事件を起こしたの?なんで逃亡できたの?
生い立ちから気になる福田の動機や人間性について解説していきます。
- 福田和子の生い立ちと人間性
- 松山ホステス殺人事件の動機3つ
- 福田和子が人気ホステスだったわけ
写真もたっぷり載せています。
ぜひ最後までご覧ください!
【松山ホステス殺人事件】福田和子はどんな人間だった?

松山ホステス殺人事件の犯人、福田和子は一体どんな人間だったのか、気になりますよね。
生い立ちを見ると、福田の人間性が見えてきます。
福田和子の生まれてから死ぬまでを時系列で見ていきましょう。
でもその前に、「松山ホステス殺人事件」について簡単におさらいします。
- 1982年8月19日
- 愛媛県松山市
- マンション内で31歳のホステス、安岡厚子が元同僚ホステスであった福田和子に殺害された
- 福田和子とその夫がマンションから家財道具を運び去って逃走
- 殺害された女性の遺体は松山市内の山中に遺棄された
- 犯人の福田和子は事件後、整形などをしながら約15年逃亡した
- 時効ギリギリで逮捕された
何度もテレビ番組で特集されていることから、この事件を知っている方も多いのではないでしょうか。
福田和子の生い立ち

ここからは福田和子の生い立ちについて見ていきましょう。
幼い頃に両親が離婚。
母親は生活のために自宅で売春宿を経営していました。
母親の再婚などを経て、愛媛県内の高校に入学した福田。
しかし当時付き合っていた同級生が事故死してしまいました。
福田はそれをきっかけに自暴自棄になり、3年生の1学期に退学します。

17歳の時に、同棲していた男性と松山市の国税局長の家に強盗に入り、逮捕されます。
逮捕後、松山刑務所に収監されます。
ここで衝撃的な事件が起こります
服役中の1966年、当時18歳でした。
そこで起きた、「松山刑務所事件」の被害者となったのです。
- 松山刑務所内で発生した強姦事件
- 収監された暴力団関係者が刑務所の看守を買収
- 所内を自由に移動できるようになった暴力団関係者が女性囚人に強姦した
この事件が福田のトラウマとなるのです。
20歳で出所後は、キャバレーのホステスとして働きました。
1度結婚して2人の子供をもうけるも、1973年に離婚。
1982年、当時34歳の福田は2人目の夫と4人の子供と暮らしていました。
福田には夫がいながらも不倫相手がいたのです。
生活はかなり苦しかったにも関わらず、不倫相手に「裕福な家の出身である」というように言っていました。
そして不倫相手と一緒に住むための家と家具を用意しようとしていたのです。
嘘を現実にしようとしたんだね

被害者の安岡厚子とは1982年2月から2ヶ月間だけ働いていた店で出会います。
彼女と、新しい店を立ち上げる話も出ていました。

新しい店の話や、生活に困っているという話をしようと安岡厚子のマンションに行った福田。
話のこじれから安岡厚子を殺害してしまいます。
これが「松山ホステス殺害事件」です。
殺害後、その場に夫を呼び、夫には正当防衛であることを主張。
夫に遺体の遺棄に協力するよう求めました。
さすがに不倫相手との生活のためとは言えないよね
そんな夫は協力しながらも福田に自首をすすめます。
しかし福田は「子供がいるから自主できない」と言い逃亡を決意。
その後14年11ヶ月に渡り逃亡したのです。

松山刑務所事件があったから、刑務所に入ることを恐れていたんだって


事件発生後は、偽名や美容整形を繰り返し転々としていました。
その中で、京都の旅館の令嬢と名乗り、石川県の和菓子屋の主人と同棲したこともありました。




1997年7月29日松山ホステス殺人事件の時効21日前に福井市内で逮捕されました。
当時福田が働いていた居酒屋の客から、警察に通報されたのがきっかけでした。
なんでそんなギリギリに逮捕されたの?



時効が近づいて、テレビで特集されることが多くなったからだと言われているよ
1999年5月31日に松山地方裁判所にて無期懲役と判決されます。
その後控訴しますが棄却され、2003年11月に無期懲役が確定します。
福田は和歌山刑務所に収監されたのです。
しかし2005年2月、刑務所内の工場作業中、くも膜下出血を起こし緊急入院します。
3月10日脳梗塞により死亡が確認されます。
福田は57歳でした。
福田和子の人間性は?


- 客商売に長けていた
-
逃亡中、石川の和菓子屋の主人にみそめられて、店を手伝っていました。
客商売が上手な福田のおかげもあり、店は大繁盛しました。
いろんな場所で働いていたからかな
- 綺麗で愛想がいい
-
金沢星稜高校に通っていた松井秀喜さんは、その和菓子屋に通っていました。
福田の印象は「綺麗で愛想のいい奥さんだった」と言っています。
逃走中も男性との付き合いは絶えることがなかったという福田は、人を魅了する術にも長けていたのかもしれません。
- 聡明な人
-
逮捕後、編集者の平田静子さんは福田の手記を書こうと彼女に会いにいきます。
何度も足を運び、福田に原稿を書いてもらうように説得した。
福田が書いた原稿は一字一句修正する必要がない、完璧なものでした。
こんな事件を起こさなければうまくやれたかもしれないのに…
- 尊敬できるお母さん
-
福田には4人の子供がいます。
事件後、すぐに親戚の元に預けられましたが、時々会うこともありました。
子供は母が事件の犯人であることを知っていましたが、このように親子関係は良好であったのです。
- 男性にモテた
-
逃走中も男に困ることはなかった福田。
ホステスの仕事で培った能力や、人を惹きつける才能で逃亡に役立ちそうな男性を魅了していきました。
偽名や嘘の身の上話を巧みに操ることで男性の同情を引いていったのかもしれません。


【松山ホステス殺人事件】福田和子の犯行動機①|金銭目的


1つ目の動機は「お金や家具が欲しかったから」です。
安岡厚子を殺害し、盗んだものは
- 現金13万20円と米ドル4ドル1セント
- 預金通帳2冊と印鑑
- 家具や家財道具334点
当時、福田はローンの支払いなど、月10万円の支払いに追われていました。
最初はサラ金から借りていましたが、福田の名前では借りられず、知人や友人の名前を借りるまでに。
借金の総額は200万円。
福田は経済的にかなり追い詰められていました。
福田は安岡がお金を貯めているのを知っており、部屋の家具も豪華であることを知っていました。
「この女を殺してお金や家具を私のものにすればいい」と思ってしまい、殺害してしまったのです。
現金や通帳を盗んでいること、殺害後に家財道具も運び出していることから、「金銭目的」という動機が一番大きいと考えられます。
【松山ホステス殺人事件】福田和子の犯行動機②|ホステス同士の嫉妬


2つ目の動機は「同じホステスである安岡に嫉妬をしたから」です。
被害者の安岡厚子は店のナンバーワンホステスでした。
安岡厚子はとても綺麗な女性であったと言われています。
彼女はブランド物を身につけていたり、貯金もありました。
このようなことから、安岡厚子の人気や美貌、経済的な余裕への嫉妬が犯行動機になったと考えらるのではないでしょうか。
【松山ホステス殺人事件】福田和子の犯行動機③|レズ関係でのもつれ


3つ目の動機は「被害者とのレズ関係のもつれ」です。
これは福田の弁護側が主張したものでした。
福田と、安岡厚子はレズ関係にあったといいます。
その2人の関係がもつれて、衝動的に殺害したと言っています。
しかしこの動機に関して、情報はほとんどなく、信憑性は低いです。
一部では、福田の自作ではないかとも言われています。
そもそもなぜ福田和子は人気ホステスだったの?


福田は「愛想がいい」「聡明」と言われています。
幼い頃から母親の男関係で転々としていました。
そこで知らない相手と上手くやっていく術を身につけたと考えられます。
上手に嘘をつき、相手の同情を引いたりするのも得意だったのでしょう。
こう言ったことから、男性の心を巧みに操り、ホステスとしてやっていけたのではないでしょうか。



対人能力に長けていたんだね
まとめ|【松山ホステス殺人事件】福田和子の犯行動機について
いかがでしたか?
松山ホステス殺害事件の犯人福田和子について解説してきました。
彼女の壮絶な生い立ちから、彼女の人間性が見えてきたのではないでしょうか。
- 福田和子の印象は悪くない
- 殺害の動機は金銭、嫉妬、人間関係
- 福田和子は男性を魅了する能力に長けていた
日本に衝撃を与えたこの事件は今後も語り継がれることでしょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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