三國清三の離婚説は嘘で娘もいた!若い頃は書類送検の経験ありらしいw

三國清三の離婚と書類送検について

三國清三さんはフランス料理界の巨匠で、日本中で10店舗以上も飲食店を経営している凄腕シェフです。

数年前にYoutubeチャンネルを開設したりと話題になった三國清三さんですが

離婚説娘がいた!?という話や、若いころに書類送検をされた!など噂が絶えません!

「謎の多い人だね…!」

今回はそんな三國清三さんのプロフィールや経歴を紹介し、噂の真相についてもまとめていきます!

この記事でわかること
  • 三國清三のプロフィール、経歴
  • なぜ離婚していると思われたか
  • 嫁と娘について
  • 若いころはどんな人だったのか
  • 書類送検の噂について
目次

三國清三の経歴とプロフィールまとめ

フランス料理界では有名人な三國清三さん、さまざまな噂があるようですが…

まずは三國清三さんがどんな人なのか、経歴とプロフィールをまとめていきましょう!

凄腕シェフの経歴は気になる!

三國清三のプロフィール

プロフィール
名前三國清三(みくに きよみ)
生年月日1954年8月10日
職業フランス料理シェフ
出身地北海道留萌支庁管内増毛町
称号「ソシエテミクニ」代表取締役、日本フランス料理技術組合代表
北海道食大使、北海道白老アイヌ食文化大使、フランス農事功労章オフィシェ章受章
一般社団法人全日本・食学会理事長代行
その他:政府、各種遮断法人の委員、理事など

プロフィールを見てみると、なにやらすごそうな勲章をもらっていたり、組合の代表であったり…

出身地の北海道では食大使に任命されていたりと、かなりすごい人ということがわかりますね!

三國清三の経歴

次は三國清三さんの経歴をみていきましょう!

1969年 中学校卒業後、夜間の調理師学校に通う。

「札幌グランドホテル」で料理人の修行を開始、半年後に正社員になる。

1971年 「帝国ホテル」へ就職。

1973年 スイス・ジュネーブ日本大使館の料理長に就任。

1978年 大使館を退勤し、フレディ・シラルデの元で修行。

1980年 フランスの三ツ星レストランで修行を重ねる。

1982年 帰国し、市ヶ谷の「ビストロ・サカナザ」でシェフとして迎えられる。

1985年 四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業。オーナーシェフとなる。

1989年 ニューヨーク、香港で”ミクニフェスティバル”を開催。

1990年 タイで”ミクニフェスティバル”を開催。

1991年 タイで2度目の”ミクニフェスティバル”を開催。

1992年 タイで3度目の”ミクニフェスティバル”を開催。フランスにて”ミクニフェスティバルを開催

1993年 フランスの料理コンクールで日本代表審査委員長を務める。ロンドンで”ミクニフェスティバル”を開催。

1994年 札幌グランドホテル開業60周年記念で「ミッシェル・トロワグロと三國清三のメモリアル・ガラ・ディナー」を饗宴する。東京で”チャリティーミクニフェスティバル”を開催。

1995年 東京で2度目の”チャリティーミクニフェスティバル”を開催。

1996年 タイで4度目の”ミクニフェスティバル”を開催。シンガポールで”ミクニフェスティバル”を開催。アジア12ヶ国最優秀シェフ12名を決定するコンテスト”ボンラック・グレート・シェフズ・オブ・アジア賞”を日本代表の最優秀シェフとして受賞。

1997年 台湾の「ライライシェラトンホテル」にて“ミクニフェスティバル”を開催。北海道・堀知事より北海道食大使に任命される。

1998年 ルレ・エ・シャトー協会の「世界のトップシェフ60人の一人」に選ばれ、ロサンゼルスにて饗宴。

1999年 沖縄・米国海軍基地にて外国人シェフとして初めてボランティアフェアを実施。フランス・ボジョレーにてルレ・エ・シャトー世界5大陸トップ・シェフ5人の一人に選ばれる

2000年 沖縄・米国基地海兵隊より、1999年3月のボランティアフェアの貢献に対し感謝状を受ける。九州・沖縄サミット福岡蔵相会合の総料理長を務める

2001年 東京駅「東京食堂 Central Mikuni’s」をプロデュース。スイス・サンモリッツ世界最高リゾートホテルにてフェアを実施する。フランス・リヨンにて“BOCUSE D’OR 料理コンクール”の審査員日本代表。タイの「ジ・オリエンタル・バンコク」開業125周年記念として5度目の“ミクニフェスティバル”を開催する。

2002年 JR京葉線・海浜幕張駅「アズ・カフェ ミクニ 海浜幕張」をプロデュース。イタリアで世界料理コンクール開催。デモンストレーションを行う。韓国とのサッカーワールドカップ共同開催を記念して、両国の交流グルメフェアを開催。モスクワにてピエール・ガニエ(パリ三つ星シェフ)と食のイベント開催。イタリア・トリノにてその年の世界最高のシェフとしてイタリアスローフード教会主催の晩餐会を務める。“メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン”10周年記念チャリティ・パーティにてディナーメニューの監修。日本フランス料理技術組合の子供への食育活動の功績が認められ、2002年度食品産業技術功労賞「特別賞」を受賞。

2003年 東京・汐留に旧国鉄開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」内の「グラン・カフェ 新橋ミクニ」をプロデュース、札幌駅南口に「ミクニサッポロ」開業。北海道スローフード協会・支部役員となる。フランス共和国農事功労章「シュヴァリエ」を受勲。フランスチーズ鑑評騎士の会日本支部シュヴァリエ会員に選出される。

2004年 ギリシャ・シェフ協会、認定名誉会員に選出される。政府の「立ち上がる農山漁村」有識者会議の一員に選出される。「ニューズウィーク日本版」2004年10月20日号「世界が尊敬する日本人100 Japanese」の一人に選出される。

2005年 農林水産省、経済産業省主催「食の教育推進協議会」に出席。文部科学省「新しい日本の創造を考える研究会」の講師。社団法人 全日本司厨士協会 理事に就任。料理専門学校「Culinary Institute of America」にて、“Great Chefs Series” の講師として講演および料理講習の実施。文部科学省初等中等教育過程課「家庭、技術・家庭、情報専門部会」委員に任命される。

2006年 第一回 ミクニ スプリング フェスティバル開催。同年7月5日、自身が経営する会社に勤める男性社員(当時46歳)を殴るなど暴行した容疑で書類送検される。

2007年 高松市の高松丸亀町商店街再開発ビル高松丸亀町壱番街に姉妹店「ミクニタカマツ」オープン。年数回定期的に三國本人が来店し「ミクニフェア」を開催している。

2008年 自らが監修したレストラン「オーベルジュましけ」が5月1日にオープン。

2010年 フランス農事功労章オフィシェ章を受勲[7][14]。高松市に2店舗目となる「パティスリーミクニ」オープン。

2013年 フランスのトゥール大学より「美食学」の名誉博士号を贈られる。

2015年 フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。

2020年 YouTubeチャンネルを開設。

2022年 37年間営業した「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店した。

wikipedia 一部抜粋

中学校を出てすぐに調理師学校に通って、その後すぐに札幌グランドホテルで修行を開始したのは

行動力がすごいですね!

若いうちからフランスへ行き、本場の料理人の元で何年も修行をしてきた経験があってこそ

今の三國清三さんがあるということがわかりました。

帰国してからも海外でイベントを主催して、常に海外の情報を取り入れるストイックな姿勢がカッコイイですね!

三國清三はなぜ離婚してると思われたの?

三國清三さんはって結婚してるのに、あまり奥さんのことについて話さない人なんです。

もしかして秘密主義?

だから周りが勝手に離婚したと思い込んでいた噂になった可能性が高いですね!

でも間違いなく離婚はしていないので良き旦那さんということですね。

三國清三の嫁と娘について

三國清三さんには”久美子さん”という奥さんがいます。

ヨーロッパ家庭料理研究家をしている方で

食品管理責任者・食育アドバイザー・ハーブコーディネーターなど、食に関する資格を持っていて

三國清三さんの経営する「オテル・ドゥ・ミクニ」で25年間働き、開業時には内装のプロデュースもしたそうです!

フランス料理シェフの三國清三さんにはピッタリですね!

「仕事も私生活もパートナーなんだね!」

娘について

次に三國清三さんの娘についてまとめていきます!

三國清三さんの娘は三國珠杏(みくにじゃん)という名前の女性です。

特徴的な名前ですよね、由来は三國清三さんが尊敬している”ジャン・トロワグロ”から取っているそうです。

三國清三が1980年にジャン・トロワグロの店で修行をしていた事から交流があったのでしょう!

三國珠杏さんは大学で心理学を専攻していましたが、現在は父親の跡を継ぎたいと決心し

オーストリアのウィーンで修行をしているようです!

三國清三の若い頃はどんな感じ?

今ではフランス料理界の巨匠になった三國清三さんですが…

若いころはどんな人だったのでしょうか?

「若いころから料理してたのかな?」

三國清三さんは、中学校を出てすぐに夜間の調理師学校に通い始めました。

13歳ですでに料理人の道を歩み始めてたんですね!

その後16歳の時に

「ハンバーグを作る料理人になろう」

と決意し、ハンバーグで有名な”札幌グランドホテル”のマナー講習に参加しました。

その場で料理課長の許しを得て、料理人の修行を開始。

半年後には正社員となり18歳の時には総料理長の紹介で”帝国ホテル”に就職をしています!

「若いのにすごい・・・!」

20歳になり帝国ホテルの料理長から推薦され、スイス・ジュネーブにある日本大使館の料理長に就任。

大使館の仕事をしながらフランス料理で有名なレストランで修行を積みました!

仕事でも私生活でも料理をしているのは、かなりストイックですね…

「フランス語の勉強もしてたのかな」

25歳で大使館の仕事を辞め、フランス料理の修行に集中し、27歳の時に帰国。

30歳の時に

東京・四ツ谷に”オテル・ドゥ・ミクニ”を開業

してオーナーシェフになりました!

若くして自分の店を持って、オーナーシェフをするのはすごいですね!

これもすべて、中学校卒業から料理一筋に努力してきた結果なので、本当にカッコイイです!

書類送検の経験もあったw

三國清三さんは過去に書類送検されたことがあるそうです!

優しそうな三國清三さんですが、どんな事情があったのでしょう、まとめていきます!

「一体どんな悪い事を…」

“フレンチのカリスマ”三國シェフ 男性社員の顔殴る

フランス料理界の「カリスマ」として知られる三國清三シェフ(51)が、男性社員を殴りけがを負わせていたことが4日、分かった。警視庁四谷署は傷害容疑で書類送検する方針。「(従業員の)仕事が遅いことに腹を立て殴った」と話しているという。

調べでは、三國シェフは1日午後3時ごろ、経営する東京都新宿区内のレストラン運営会社「ソシエテミクニ」の社長室で男性社員(46)に電話の受話器を投げつけたうえ、顔を殴るなどして顔面打撲の軽傷を負わせた。社員はその日のうちに四谷署に被害届けを提出した。

産経新聞

こちらの事件は2006年の7月4日の話のようです。

自らの会社で男性社員の顔を殴ってしまったようですが理由が

「仕事が遅いことに腹を立てた」

なのは、なんだか意外な気がしますねww

仕事に熱心だったため、ストイックな精神が悪い方に出てしまったのでしょうか?

まとめ|三國清三の離婚と若い頃の様子について

今回はフランス料理界の巨匠、三國清三さんの離婚の噂や、若いころの様子についてまとめました!

結果として離婚はしておらず、ただの噂でした。

そして若いころから国内外で料理の修行を続けて、今の地位があることがよくわかりました!

「若い時からの努力の結果だったんだね」

その他に…
  • 三國清三のプロフィール・経歴
  • 妻と娘について
  • 書類送検されていた話

などについてまとめました!

今後も三國清三さんと奥さんの久美子さん、娘の珠杏さんの活躍を応援していきたいと思います!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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