全国指名手配され、時効直前の役15年もの間逃亡生活を続けていた福田和子元受刑者。
全国各地を転々としていましたが、潜伏先として最も長く滞在していたのが、
和菓子屋「松栄堂」です!
今回は、その松栄堂の現在がどうなっているのか、跡地はどうなっているのか、についてご紹介します。
- 福田和子がいた和菓子屋「松栄堂」の現在
福田和子が働いていた和菓子屋の松栄堂の現在

まず、福田和子元受刑者はどんな人物なのでしょうか?
簡単にまとめました!
- 1966年強盗の罪で服役中の18歳の時、松山刑務所事件で被害に遭う
- 1982年8月19日松山市内で同僚だったホステスの首を絞めて殺害
- 犯行後、時効直前の1997年7月29日まで約15年逃亡
- 逃亡中は幾度となく偽名や美容整形を繰り返し、「7つの顔を持つ女」と呼ばれた
- 無期懲役で服役中に脳梗塞で死去
事件の真相だけでなく、その逃走劇に世間が大注目しました!

これまで何度もドラマ化されてるよ!
福田和子元受刑者が逃走中に最も長く4年間潜伏していたのが、
働き始めたきっかけは、スナック店員として働いていた店の常連客が和菓子屋「松栄堂」の店主であり、見初められて同棲するようになりました。
その後、福田和子受刑者は和菓子屋「松栄堂」を手伝うようになり、松山市の実家にいた息子を呼び寄せ、甥だと偽って見習いとし働かせています。
その和菓子屋「松栄堂」の現在ですが…
2018年7月に閉店しており、現在営業していません。


松栄堂はどんなお店だった?


所在地は
地元では評判の老舗和菓子屋だったようです。
逮捕後のインタビューでも、「きれいで愛想のいいおばさんだった」と語っていたようです。
ツイッターには、こんな書き込みも



氷室饅頭や赤飯が人気だったみたい!
福田和子は松栄堂でどんな仕事をしていた?


福田和子元受刑者が松栄堂で暮らすようになると…
- 初めは手伝い程度でしたが、次第に女将として働くように
- お客さんからの評判も上々で、店舗を建て替え、売り上げも上昇
- お店の看板として、近所の人にも認識される
ホステスをしてきた経験からも客商売は慣れていたのでしょう。
そして、商才もあったのかもしれません。
店主は、同棲時から結婚を意識しており、妻として迎えもっと店を繁盛させたいと思っていたようです。
店主が何度も求婚しましたが福田和子元受刑者は断っていたようです。



逃走中だから結婚は無理


松栄堂が現在「閉店」している理由は?


1997年に福田和子元受刑者が逮捕され、2018年7月に閉店ということで、
閉店の理由は福田和子元受刑者の影響ではなさそうです。
逮捕後、一時期敬遠する人はいたようですが、和菓子の味は確かだったのでしょう。
お店のファンは変わらず通っていたようです!
2018年7月まで営業していたことからも、
考えられる可能性としては、店主の高齢化、後継ぎ問題でしょうか。
和菓子屋「松栄堂」の店主は、福田和子と同世代。
2018年の時点で、おそらく70代でしょう。
真相は分かりませんが、店主が高齢になり、継ぐ人もいなかったのかもしれません。
長らく続いた老舗和菓子店は、ひっそり幕を下ろしたようです。
松栄堂の跡地はどうなってるの?
2022年9月のグーグルストリートビューでは、シャッターがしまったままですが、建物はそのままあります!


どうやら、松栄堂のお店はそのまま残っているようです。
管理者が誰になっているのかは分かりませんが、この辺りは古い家や店も多く、買い手がついていない可能性もあるかもしれません。
まとめ|福田和子が潜伏した和菓子屋「松栄堂」の現在について


いかがだったでしょうか。
世間を騒がせ、15年もの逃走劇を送った福田和子元受刑者。
逃走中最も長く滞在した、和菓子屋「松栄堂」は現在は閉店していました!
跡地には建物がそのまま残っています。
福田和子元受刑者の逮捕後、20年以上は営業していたので、閉店の理由は店主の高齢化や跡継ぎ問題かと思われます。
- 福田和子がいた和菓子屋「松栄堂」の現在は、閉店していた
和菓子屋「松栄堂」にもう行くことはできませんが、地元の人に愛された名店であったのは確かなようです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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